2018年07月02日

原爆と防災

さくら隊散る [レンタル落ち]
さくら隊散る [レンタル落ち]
冒頭の広告は映画『さくら隊散る』の紹介です。
この作品は新藤兼人監督作品で、実際にあった話の映画化です。

太平洋戦争のころ。娯楽に飢えた人々のために劇団やお笑いの慰問が各地で行われていました。
その一つがさくら隊で。
田村正和さんの父・坂東妻三郎主演の『無法松の一生』で主演した女優・園井恵子さんなども
所属していました。

彼らはたまたま、1945年8月6日のその日に広島の地に滞在しており
劇団員が全滅するという目にあいました。
家屋とともに燃え尽きて、遺骨さえ残さなかった劇団員もいましたが
大きな『生きた証』を残した中川みどりという女優もいました。
東京・本郷出身の彼女は「なんとしても生きよう」と、焼けた体にシーツを巻き付け
復旧第一号の列車に飛び乗ると、東京に帰ることができました。
そして、東京大学に行き特殊爆弾の被害者として診察を受け
直後に亡くなるのですが、解剖された彼女の検体は
原爆症第1号患者の臓器として、今も東京大学に保管されています。

そんな作品を、劇団員の知人のインタビューや再現映像とともに振り返る作品です。
…と、私は自分の記憶をもとにサラサラッとこの文を書いたわけなんですが。

今の子供たちは原爆の落ちた日を知らないと言います。なぜなら
学校で教えないというのです。
受験のために作られたカリキュラムは、必要ないものはどんどん削除する。
いつの日からか、広島長崎の原爆の日も。終戦記念日も。
知っている世代はずいぶん上になっています。

また、小学生の親もボチボチ平成生まれも登場。
祖父母に戦争体験を聞こうとも、祖父母さえ戦後かなりの世代。
身内で戦争に行った人をたどれば、会ったこともない「曾祖父」ぐらいまでさかのぼります。
戦争も平和も実感のない話です。

では、防災教育はというと。
阪神淡路大震災から今年で23年。神戸市民で地震を経験した人は50%に満たないと言います。
当時、70歳以上だった人は90歳を過ぎ、亡くなった人も多いでしょう。
0歳だった人も大学生以上。
震災を語れる人となると30歳以上です。ですから
23年前の記憶を語れる人も市民の半数。
たった23年で伝えていくことが難しくなっているというのです。
ですから、小学生にとっては
阪神淡路大震災も、原爆も、豊臣秀吉も全部同じ。
遥か昔の人の話。自分に置き換えることは難しいのです。

東日本大震災も、チリ地震の津波を経験した人が減っていたから
「津波てんでんこ」と精神が今に伝わっていなかった。
災害を経験した地でもこんなふうです。
経験していない地だったら、命の大切さを実感するのがどんなに難しいか。

実感している人間から語り掛けていくしか…ないんでしょうね。

posted by ぶろっこり at 15:44| Comment(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月01日

帰宅難民にならないために

昭文社 帰宅支援マップ 首都圏版
昭文社 帰宅支援マップ 首都圏版

大きめの天災の後、都会では必ずと言ってよいほど出る問題。
それが帰宅難民です。

2011年3月11日も。
ちょっとした台風の時も。
そして、先日の大阪の地震でも。

ここでは、わが身に置き換えて。ちょっと考えてみたいと思います。
その前に、台風と地震は分けて考えます。
台風は進路予想というものが出ますし。本当に命にかかわる危険な状況の時間て避けて通ることが可能です。
なのにも関わらず、数年前。
東京に台風が直撃した時間に帰宅難民となり
渋谷駅のタクシー乗り場やバス乗り場に人があふれ
たまらず歩き出した人が、荒川や多摩川の橋の上に行列をなすということがありました。
1時間か2時間、カラオケボックスやファミレスでしゃべっていたら回避できた風雨です。
人はなぜ歩き出すのでしょう。
『夜道に灯は暮れない』
うちの母がよく言っています。
出勤時間ならともかく、帰宅時に歩き出す。
ほんとダメです。
突然の突風で、飛来物が人間に直撃したら。
フワッと体が持ち上がるほどの風で、橋から落下したら。
そんなことを考えるべきです。

台風は、ちょっと時間をおくことで状況は変化します。ただし
地震は違います。
予期せず起こります。

まず、災害の起きる時間帯、曜日もふまえて想像します。
阪神淡路大震災の時は火曜朝の5時46分。
まだ、通勤ラッシュは始まっていません。
ほとんどの人が家の中で地震にあいました。ですから、そもそも出勤できない状況になって
この時、帰宅難民を大きくクローズアップすることはありませんでした。
東日本大震災の時の関東はというと
金曜の午後2時46分。普通に朝出勤して、社内で地震にあい。帰りの足がないという状況になりました。
さぁ、どうやって帰ろうか。です。
東日本大震災時の東京の場合、震度5弱又は5強という揺れではありましたが線路が破損したり
走行中の列車が脱線したり、架線が切れる。高架が壊れる。
こんなことはありませんでした。
なぜ、交通網が止まったか。大きな要因としては『点検』でしょう。
多くの命を預かる鉄道会社。走ったわ。線路落ちてたわ。では困ります。
だから点検する。それに時間がかかるわけですね。
JRは長い路線。複雑な連絡。私鉄との連携。複雑だからこそ、簡単ではない。
そう理解してあげるべきです。
東日本以前に東京で震度5弱があった時、西武・都営地下鉄は早く復旧していました。
バスもすぐに復旧していました。
やはり、どう絡んでいるかを理解すれば「動き出しまでの時間」を多少想像できます。
無理して、危険な道路を歩くぐらいなら近くの健康ランドやネットカフェに行くほうが賢明です。

そんな判断をする人が一人でも増えれば、交通渋滞も減るのではないでしょうか。

では、先日の大阪ではどうか。
朝7時58分の地震。
学生はちょうど移動の時間ですが、9時出勤の人なら、通勤30分程度の人がメインでしょうか。
9時半出勤の人なら会社まで1時間以上かかる人が乗り始める時刻。
もしも二駅程度で足止めを食った人なら、家まで戻ったほうが賢明かもしれません。
会社まで行ってしまったら、戻る苦労も伴います。
無理に動くことは決して「えらい」とは言えないでしょう。
「でも、なんとしても会社に行かないと」という方は、普段から会社と話し合って
こんな場合の対比方法や対処方法を話し合っておくべきです。
会社が取り合ってくれないという人は、自分が切り込み隊長となって話し合うべきです。
「なんとしても来い」という会社なら、労災についてしっかり確認しておきましょう。
命を懸けて守ってくれるなら、命を懸けて出勤します。
守ってはくれないのなら、家族のために生きる道を選択しましょう。

posted by ぶろっこり at 15:36| Comment(0) | 被災者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月30日

罹災証明の効力

罹災証明が、どのように発行されるかご理解頂けましたか?
わからない方は、昨日の記事をご覧ください。

では次の段階。
実際、罹災証明ってどんな効力があるのでしょうか?
まず、税金の優遇があります。
様々なローンを組む時に金利の減免や優遇があったりします。

『公』にお金を払う機会では、一応「罹災証明あるんですが」と言ってみる価値はあります。
公立高校の学費の減免や、支払いを待ってくれたりする場合があります。
市内巡回バスなど、『公』運営のバス定期などは優遇があるかもしれません。

不動産の購入や賃貸契約でも役立つ場合があります。
民間であっても、
発信力のある社長・会長・CEOのいる会社は大いに希望があります。
その人のTwitterやブログに
「携帯電話料金半年無料にする」なんて書いてある場合もあります。

子供の教育に関するものも、優遇されることが多いです。
購入したいものがあるときは、販売先のホームページなどを見るべきです。

我が家の場合は、当時の住宅都市整備公団(のちのUR)の団地において
無抽選での入居。
敷金・申込金免除。一定期間家賃無料。その後もしばらく減免。
たいへん助かりました。
地震から半年たっていたので
「まだ罹災証明つかえるんだな」と思ったことを覚えています。

意外なところで、意外な効力を発揮する場合もあります。
罹災証明がある人は、証明のコピーと実家の写真を常に準備しておくことをお勧めします。
さらに言えば
罹災証明は家に対して出るものですから、世帯主の名前で書かれていると思います。
その人との関係が証明できないと「私も被災した」とは言えません。
ですから、災害当時の家族全員の住民票など同居の事実を証明できるものを用意することも重要です。
被災によって、他の市町村に出てしまった後、その証明を出すのは大変です。
除籍票になってしまうので、転籍・転出前に出しておく。それを大量にコピーして家族でもっておく
ことが大切です。

これらのこと、役所では教えてくれません。
後になって
「あの時に言ってくれれば良かったのに」はありません。
また、決して役所を責めないでほしいとも思います。
役所の職員も被災しているはずです。一人一人に細かく時間をかけて
相談に乗っている余裕のないのも災害時です。
あらかじめ、平時から一般市民自ら知識を持っておくことが大切です。
posted by ぶろっこり at 00:00| Comment(0) | 被災者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする