2018年12月23日

遺体確認の現実

私が「遺体確認」をしたことはありません。
しかし、遺体確認について激怒したことはあります。

数年前
「灯油買ってきた。今からこれをかぶって死のうと思う」
という電話が、父からありました。
私は電話に向かって、大声で怒りました。

私と父は飛行機で1時間以上の距離。
今すぐ止めに行くことは不可能です。
「どういうつもり?」
「明日の朝、警察から電話がかかってきて。飛行機代払って
焼けただれた父親の遺体確認にわざわざ来いってか?」

警察からの電話というだけでも不愉快なのに。
お金払って来いってか?
親とは言え、何の権利で私に苦労を背負わせる?
「具体的に起きることを考えろっ!!!!」

父は、現実を想像できない人間だったようです。
この私の父親なのに。だから
そんなミスを犯したから、私にひどく叱られて自殺を思いとどまりました。
私は「死」を止めたのではありません。
死ぬのはけっこう。あなたの自由。
だけど、そのあとに来る様々を想像できなかったことを怒ったのです。
親のくせに。

私は、津波で亡くなった人や災害で逃げ遅れて亡くなった人を
悼む気持ちはありますが、可哀そうには思いません。
ちゃんと逃げなかったから、家族に遺体確認をさせたと責めたいと思っています。
今後、一人でも逃げ遅れる人がいないために。

ちゃんと逃げていれば、死ななかった?
「いや、思ったよりも津波が高くて」
それは知っていますが、2万人近く死んだ災害でも、ちゃんと生きている人がいる。
同じ条件下にいても、生死を分けた何かがある。
死んだ人はなにがしかの判断を誤った。

すぐに遺体の見つかった人は、生前の表情に近く。
家族のダメージはまだ浅かったでしょう。
しかし、1週間後だった人は、腐敗して。真っ黒になって。肥大した顔を大切な家族に見せた。
1か月後だった人は、家族が抱きしめることもできない部分遺体になっていたはずです。

もちろん、大人の誤った判断で命を落とした子供たちも多くいます。
彼らに落ち度は全くありません。

しかし、問題は自分で判断する大人です。
後世に教訓だけでも残すために、死んだ意味を検証すべきです。

遺体確認は、残す人にさせてはいけないことです。
ラベル:親の自殺
posted by ぶろっこり at 09:34| Comment(0) | 想像劇場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月13日

リポーターが伝える避難所

ちょっと久々に妄想劇場です。
皆さん、テレビで見る報道ってどれくらい真実を伝えていると思いますか?
私たちに知らされていない真実はいっぱいあります。
その真実に目を向けることで自分の防災が始まります。

例えば、東日本大震災で亡くなった2万人近い人々。
ほとんどが溺死ですが、どんな状況か想像したことがあるでしょうか。
ドラマで見る溺死体はとてもきれいです。

しかし、瓦礫や流木にぶつかられた遺体は欠損遺体も多く
水が引いた直後の被災地の写真には腕や足がたくさん引っかかっていたと聞きます。
日本ではそういったものは自粛ですが、海外メディアは隠さずに伝えたようです。
また、気仙沼の津波では海水面に浮いたガソリンなどに着火。
遺体は、浮かんだ状態で焼かれ
焼欠損の遺体が多くありました。
知っていましたか?

それをもっと伝えていれば
「溺死いやだな」
「津波いやだな」
という思いがもっと広がって、津波への防災意識が高まったと思うんです。
前置きが長くなりました。

避難所を伝えるリポーターの言葉。
通り一遍のものばかりですが
「ここ、くっせー」と言ったリポーターを見たことがありますか?

西日本豪雨の避難所はそうとう臭かったと想像します。
断水。泥水。猛暑。
お風呂に入れない。
片付けで汗をかく。洗い流せない。
そうとう苦痛な避難所生活だと想像します。
東日本大震災は東北の3月。
阪神大震災は1月。
体臭が香りはじめるにはかなりの時間がかかったと思います。
冬場、1週間お風呂に入らなくとも臭くはなりますが
酸っぱくはならないでしょう。
髪だって、3日洗髪を我慢できても。夏場は一日で本人が臭いでしょう。
臭い中でいるとイライラもするでしょうし
何かする気にもならないです。

避難所が臭い。

想像したことがある人がいるでしょうか?
それを思えば、ウエットティッシュや赤ちゃんのおしりふきを用意しよう
と、思うはずですが。
備蓄品の一覧に水や缶詰はあっても、ウェットティッシュはあまりみません。
抜け落ちてはいないでしょうか?
避難所で伝えきれていない何か。それを想像することもたいせつです。
ラベル:想像劇場
posted by ぶろっこり at 23:26| Comment(0) | 想像劇場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月02日

災害時の教師の立ち位置

先日、小学校の先生とお話しました。
そして、私が言いました。

「先生は、どんな時間に災害が起きるかによって立場が違いますからね」
一瞬
「ん?」となる先生。

はい。妄想します。

例えば月曜日。13時の地震。
学校にはフルに子供たちがいます。
家庭科の授業中の教室もあれば、体育の時間で運動場いるクラスもあるでしょう。
教師はまず、子供たちが怪我しないように避難させて点呼。
ここまでは、日ごろの避難訓練でカバーできるでしょう。

ノーイメージなのは、こっから先です。
子供たちを家に帰す手配。
母親が専業主婦だったり、商売している家の子はすぐに帰せるでしょう。
親が共稼ぎの家庭の子。親と連絡がついて
預かってくれる家の手配でも付けばよいですが
つかない限り、子供はずっと学校にいます。
公立の小中学校ならば、先生が自宅まで歩いて同行することもできますが
私立ともなると、子供が帰宅難民です。
6年生ならまだしも、1年生は恐怖にさいなまれ不安で先生の手を
離さないかもしれません。
保護者と先生が確実に連絡が取れる手段。
LINEがあるからと信じすぎてはいないでしょうか。
LINEがダメだったらバージョンの模索も必要です。
この間、先生はずっと先生です。
我が子のことも考えている余裕はありません。
我が子の受け持ちの先生は先生で、連絡の取れない親に気をもんでいるかもしれません。

大地震の場合、被災者が学校に押し寄せるかもしれません。
職員室では、校長・教頭・教務主任らが
自治体との対応に追われるかもしれません。
まだ、たくさん子供がいるのに被災者が収容できるのか。
自治体担当者が来ていないのに、続々やってくる被災者。
先生の対応に怒号が飛び交います。
先生は悪くありません。
先生は学校の管理者ですが、被災者の担当マニュアルを持っているのは自治体です。
「早く物資を出せ」と言われても
勝手に出すわけにはいきません。

さて、先生の立場に思いを馳せてくれる被災者はどれくらいいるでしょうか。
実際、熊本の地震では
怒鳴られ、怒られている校長先生の姿を見ました。

被災者の多くは、避難所に行けばなんでるわかる。なんでもしてくれる。
と、思っている人が少なくありません。

先生、
災害が起きたとき、家にいたらあなたは親かもしれませんが
学校にいたら。最初から最後まであなたは先生です。

被災者の皆さん、
皆さんの前にいる人は、防災の訓練を受け、被災者対応の訓練をした人ではなく
教育者です。

じゃあ、誰に聞けばいい?!

誰に聞くこともアテにしてはいけません。
自分自身だけが自分を守ります。
ラベル:先生
posted by ぶろっこり at 22:53| Comment(0) | 想像劇場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする