2018年07月06日

地下鉄サリン事件と阪神淡路大震災

「地下鉄サリン事件」自衛隊戦記―出動部隊指揮官の戦闘記録 (光人社NF文庫)
「地下鉄サリン事件」自衛隊戦記―出動部隊指揮官の戦闘記録 (光人社NF文庫)

本日、地下鉄サリン事件などの加害者の死刑が執行されました。
思えば
この事件が起きた1995年は激動の1年でした。

1月17日に阪神大震災が起き、2か月後の3月20日に起きたのが地下鉄サリン事件です。
この同じ時期に起きた二つの出来事が、報道にゆがみを生じさせた部分も
あるかもしれません。
当時、大阪に住んでいた私は東京での報道姿勢を詳しくは知りませんが
サリンを境に、阪神淡路の報道はすっかりやんだと伝え聞いています。
もちろん、関西でもサリン事件は大きく報道されましたが
地下鉄千代田線とか霞ヶ関駅と言われても、実感がわく人はわずか。
それよりも伝えなくてはならない避難所の様子。被災者の支援。
そんなことが関西では山積みでした。

関東では逆の立場だったのでしょう。
神戸市長田区とか兵庫区と聞いても、どのあたりかよくわかりません。
センセーショナルな、焼けただれた商店街の映像も
見飽きていた頃なのかもしれません。
いい具合に飛び込んできたサリンのニュースに
一瞬で切り替わりました。
だから、震災から時を経て起こってくる被災者の苦悩や日常。
関東の人は知らずに来ました。

同じことが、他の災害や事件でも言えるのです。
東日本大震災でも現地では、何か月も何か月も現状が伝えられ
テレビの画面は、情報を伝える青い帯が常に映し出され
ドラマもバラエティも小さな画面で見ていたそうです。

今も、関西のテレビはどこの局も豪雨の様子を伝える青い帯が出ていて
大阪に住む私の母は「気が滅入る」と言っています。
もう何日もそんな状況が続いていたそうですが、私は昨日まで知りませんでした。
関西での大雨。関東では扱いが小さかったですね。
それよりも西野ジャパンの帰国のほうが、関東では重要だったのでしょう。

これらのことから、私は報道を鵜呑みにはしません。
TBSが、
放送前の素材をオウム信者に見せたから起こってしまった坂本弁護士殺害事件。
毛皮を着たリポーターが阪神淡路大震災を伝えた国営放送。
やったことを私は忘れてはいません。

知ること。
忘れないこと。
想像すること。
それは防災だけでなく、人として生きる上でも大切だと私は思っています。
posted by ぶろっこり at 13:15| Comment(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月02日

原爆と防災

さくら隊散る [レンタル落ち]
さくら隊散る [レンタル落ち]
冒頭の広告は映画『さくら隊散る』の紹介です。
この作品は新藤兼人監督作品で、実際にあった話の映画化です。

太平洋戦争のころ。娯楽に飢えた人々のために劇団やお笑いの慰問が各地で行われていました。
その一つがさくら隊で。
田村正和さんの父・坂東妻三郎主演の『無法松の一生』で主演した女優・園井恵子さんなども
所属していました。

彼らはたまたま、1945年8月6日のその日に広島の地に滞在しており
劇団員が全滅するという目にあいました。
家屋とともに燃え尽きて、遺骨さえ残さなかった劇団員もいましたが
大きな『生きた証』を残した中川みどりという女優もいました。
東京・本郷出身の彼女は「なんとしても生きよう」と、焼けた体にシーツを巻き付け
復旧第一号の列車に飛び乗ると、東京に帰ることができました。
そして、東京大学に行き特殊爆弾の被害者として診察を受け
直後に亡くなるのですが、解剖された彼女の検体は
原爆症第1号患者の臓器として、今も東京大学に保管されています。

そんな作品を、劇団員の知人のインタビューや再現映像とともに振り返る作品です。
…と、私は自分の記憶をもとにサラサラッとこの文を書いたわけなんですが。

今の子供たちは原爆の落ちた日を知らないと言います。なぜなら
学校で教えないというのです。
受験のために作られたカリキュラムは、必要ないものはどんどん削除する。
いつの日からか、広島長崎の原爆の日も。終戦記念日も。
知っている世代はずいぶん上になっています。

また、小学生の親もボチボチ平成生まれも登場。
祖父母に戦争体験を聞こうとも、祖父母さえ戦後かなりの世代。
身内で戦争に行った人をたどれば、会ったこともない「曾祖父」ぐらいまでさかのぼります。
戦争も平和も実感のない話です。

では、防災教育はというと。
阪神淡路大震災から今年で23年。神戸市民で地震を経験した人は50%に満たないと言います。
当時、70歳以上だった人は90歳を過ぎ、亡くなった人も多いでしょう。
0歳だった人も大学生以上。
震災を語れる人となると30歳以上です。ですから
23年前の記憶を語れる人も市民の半数。
たった23年で伝えていくことが難しくなっているというのです。
ですから、小学生にとっては
阪神淡路大震災も、原爆も、豊臣秀吉も全部同じ。
遥か昔の人の話。自分に置き換えることは難しいのです。

東日本大震災も、チリ地震の津波を経験した人が減っていたから
「津波てんでんこ」と精神が今に伝わっていなかった。
災害を経験した地でもこんなふうです。
経験していない地だったら、命の大切さを実感するのがどんなに難しいか。

実感している人間から語り掛けていくしか…ないんでしょうね。

posted by ぶろっこり at 15:44| Comment(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

防災の考え方と例の新幹線殺傷事件

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また、走行途中の新幹線の中で人が亡くなるという悲しい事件がありました。
SNSの世界では、亡くなった方を称賛する意見や
同乗客への批判などが無責任に乱れ飛んでいます。

日ごろからネガティブな妄想をもとに、防災に生きている私が考えてみると。
なぜ、キャリーバッグを振り回して戦わなかったのか
丸腰で挑んでしまったのか。
それが悔やまれてなりません。

一番想像できることとして
亡くなった方は、まさか「死ぬ」とは思ってなかったのかもしれません。
もちろん、考える間もなく体が動いてしまったのだと思いますが。
『死ぬ』と思っていなかった。その発想が死に近づいてしまう。
これが今までの災害にも共通していると私は思っています。

津波も
「死ぬような高いやつは来るはずがない」と思っていた人と
「今までのものとは別物だ」と考えていた人
それが生死の境目になったのではないでしょうか。

東日本大震災の時に、防災無線で最後の最後まで避難を呼びかけて亡くなった女性がいました。
メディアは美談だと祭り上げていましたが。
結婚を数か月後に控えていた人です。
自分の幸せを犠牲にしてまで、人の命を守ろうという責任感が働いたのか?
もちろん、立派に職務を果たされていたのだとは思いますが
絶対に
「死ぬほどの危険」があるとは思っていなかったのではないでしょうか。

「死ぬかも」という発想こそが防災・減災につながるのではないでしょうか。

あと、ぜひメディアにお願いしたいのですが。
こんな死を美談にはしないでほしい。
絶対に美化してはいけない。だって
家族の身になったら
「なんで人のために命を落とすの!!!」
という思いです。
昨年、草津で亡くなった自衛隊員の方も
震災で、人のために犠牲になった消防隊員の方も
「家族を一番に考えて!」です。
私が、新幹線で別の車両に逃げた乗客の家族だったら
「よく逃げてくれた。生きてくれてありがとう」です。
それが、見殺しを生む社会だという人もいるかもしれません。

いいえ、私なら
「死ぬかも」と思いながら、キャリーバックで応戦します。
決して見殺しにはしません。

防災・減災は常日頃の生き方で作っていく。
私は、そう考えています。

posted by ぶろっこり at 22:23| Comment(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする